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2011年5月16日 (月)

江葉の松の伝説

三次市糸井町の浄土真宗本願寺派照善坊には江葉(えよう)の松の大蛇伝説が残っている。

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梅雨時期の大雨それがもたらす被害と恵み伝説である。

『今から約400年前の1600年頃(関ヶ原の戦い・大坂の陣)の話で現在の世羅町世羅西・上津田・美波羅川流域に大井勝重と云う若い武将がいた。
勝重には江葉と言う名の美人の妻と男の子がいた。
この話を勝重の主君金築七郎が聞き、江葉を侍女にしようと決めた。
そこで勝重は江葉を美波羅川下流の三次市糸井町の照善坊に預けた。
それを知った七郎は勝重を事故に見せかけ、殺した。
それを聞いた江葉は大蛇になり周りの明神山に大雨を降らし、明神山に在る七郎の館を鉄砲水で押し流し、殺してしまう。
大蛇になった江葉は大水ともに美波羅川を糸井の照善坊処まで下り、御院家さんに告げた。
「世話になった照善坊の裏庭に奉公の時植えた松の木あります、松が枯れぬ限り息子の成長を見守っている」と告げて天に昇って行ったと伝説がある。』

その頃大洪水が遭った記録が残っている。
松が枯れぬ限り息子の成長を見守っている―という話に興味をもった。
洪水により明神山の肥えた土が下流の田畑に流れ、美波羅川沿いを潤して作物が良く出来たと思う。
しかし、400年後の1958年(昭和32年)に江葉の松は枯れてしまい切り倒された。
1960年頃から美波羅川周辺から若者が減り、過疎化してきた。
江葉の松の見守りが無くなったではないかと思う。

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400年前の昔は照善坊すぐ前を美波羅川が流れていた。圃場整備をするまでは川の跡が残っていた。

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なお鐘撞き堂の床の下には50年前に切られた江葉の松の切株の見本があり径1mくらいある。
年輪を数えると確かに400年前に植えられた松の木である。

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県の史跡糸井大塚古

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照善坊は国道375号を三次方面に向かって糸井大塚古墳の右側にある。

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写真真中左よりの裏庭に江葉の松があった。

美波羅川沿いはワニ(サメ)を食べる地域でもある。

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